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「晴香もさすがにこれはないよね、ごめんね」 本当に申し訳ないというような声で、だけどちっとも申し訳ないなんて思っていなさそうな顔で、お姉さんはそう言って、真っ赤に彩られた長い爪の手で、ハンドルを少しだけ回した。オレは盗むようにちらりと顔を見る。全然申し訳なさそうな顔をしていなかったお姉さんの横顔は美しかった。長い睫がくるんと上を向いていて、すっと細くて高い鼻と白い肌が、まるで陶器みたいだと思った。しかもお姉さんが少し動くたびに、花の香りみたいないい匂いが車の中にふわっと広がって、オレの鼻を掠めていく。なんだかずっと、くすぐったい気持だった。オレの視線に気付いたお姉さんが「ん?」と言うように、小さく微笑みながら一瞬だけこっちを向く。焦って目を逸らした。フロントガラスに視線をずらす。 「あっ、あの、そんな!とんでもないです」 慌てて口にした言葉は、よたよたとしているのに早口で、おぼつかない。すぐに動揺してしかもそれが丸出しになってしまう、こういうダサいところが、自分の一番嫌いなところだった。気持ちを落ち着かせて、オレは言葉を付け加えるように言いなおす。 「ていうか、逆に送ってもらっちゃってすみません」 「こんなことしかできなくて、ごめんね」 お姉さんはまた、ごめんね、と言った。本当にごめんねというような口調で、ちっともごめんねなんて思っていなさそうな顔をしながら。つまり、お姉さんがオレに対してちっともごめんねなんて思っていないということがわかる。それも当然だった。なぜならお姉さんは全く以て、なにひとつ、ごめんね、なんて思う理由がないからだ。 ここ最近、修行だなんだと言ってリボーンに振り回され続けていてほかのことが全部等閑になっていたオレに、彼女の晴香が激怒して学校でも口を聞いてくれなかったので、日曜日にでも謝りに行けば機嫌も治るだろうと思い、今日晴香の家を尋ねたのだが、いざ行ってみると晴香はオレのことを突っぱねて結局会ってもくれなかったのだ。仕方なく帰ろうとした時、それを見かねたお姉さんが、わざわざ車で並盛までおくってくれることになった。簡単にいうと、そんなところだ。 「綱吉って本当最近、ひどすぎ」と頬を膨らましてぷんぷんしながらも仕方なしという風に許してくれるだろう、くらいに踏んでいたので、晴香の行動には正直面食らった。ちょっとしたサプライズみたいな気持ちで、並盛から四駅先の、晴香の住む街へ出向き、家のすぐ前まで行ってから、晴香に携帯で電話をした。電話にでた晴香に状況を伝えると「今日は会いたくないから帰って」と言って電話を切ったのだ。予想外の展開に焦ったオレは、晴香の家のそばをぐるぐる歩き回りながら、こういうときはもう一度電話をかけて謝るべきかそれとも素直に帰った方がいいのかということを考えていた。きっと近隣にお住まいの皆さまには不審者だと思われたことだろう。そんな時、丁度どこからか家に帰ってきたお姉さんと鉢合わせたのだ。晴香とはもう一年以上付き合っているので、お姉さんとも数回だが面識はあった。オレと晴香よりもたしか七つくらい年上で、びっくりするほど綺麗な人だ。「あれ、綱吉くんだよね?」。そして今に至る。 何度も繰り返し言うが、このように、今回の一件について、お姉さんは明らかに関係がない。さっきも言ったがつまりお姉さんが、ごめんと心から思っていそうな顔をしなくちゃいけない理由なんて全然ない。逆におかしいのは確実にオレの方だった。オレは晴香とお姉さん二人に、ごめんねごめんねと謝らなくちゃならない立場だと思う。でも正直な話、現時点のオレは、オレもオレでそれほどごめんねとは思っていない。家まで出向いたというのに晴香に邪険に扱われていながら、お姉さんに送ってもらえているというこの状況を、呑気なオレは内心ちょっと喜んでいた。 「わたしが一言晴香に言えばいいかとも思ったんだけど・・・わたしが首突っ込んだら、晴香余計にへそ曲げちゃうような気がしてね」 「本当、全然気にしないでください。全部オレのせいなんですよ。今日も晴香に電話した時、”だからいい加減許してくれよー”みたいな言い方しちゃって。それが悪かったんだと思います」 これは本心だった。最初電話に出た時の晴香は、そんなにどうしようもなく機嫌が悪いという感じでもなかった。話していくうちに、どんどん機嫌が悪くなって行ったから、きっとオレが言い方を間違えたんだと思った。晴香が電話で言っていた言葉を思い出しながら考えていると、お姉さんはふふふ、と小さく笑った。 「あっなんか可笑しかったですか」 「ううん、違うの、なんかねえ、」 車が信号で止まる。お姉さんは助手席と運転席を隔てる真ん中の小物入れみたいなところから、アイシーンと書いてある煙草の箱を取り出して、中から一本煙草を取った。オンナタバコ、って言うんだっけ。女の人が好きそうなデザインのパッケージの箱を、赤く塗られた爪先が開けて、煙草に絡める細い指が、すごくセクシーだと思った。そういう小さい動作のたびに、車の中にはいい香りが広がっている。バカなオレは、そんなことだけで単純に、オトナのオンナノヒトだ、と思って、すごくドキドキした。 「晴香が綱吉くんを好きになるの、わかるなあって」 そしてまた、ふふ、と小さく笑った。慌ててオレは何か返す言葉を考えたけど、結局何にも考えつかなくて、ただ左胸の奥で不条理に高なる音に動揺しながら「や、そんな」とだけ言葉を漏らした。最強にダサい。頭を抱えたい気持ちだった。第一彼女にあんな風に突っぱねられておきながら、オレは何を能天気に、お姉さんにドキドキ胸を高鳴らせているんだろう。実際、晴香に拒絶された時はちょっと泣きそうになったのに、お姉さんに送ってあげると言われたらすごく得をした気分になってしまった。こんな簡単すぎる自分が恥ずかしい。 「お姉さんは、彼氏とか、いるんですか」 オレがそう言うと、お姉さんは少し間を開けた。話を一生懸命変えようとしてした質問だったけど、これは間違えたかもしれない。ほんの少しの沈黙にオレの気は動転していた。こんな踏み込んだことは聞くべきじゃなかった。お姉さんは黙っている。そして、手に持っていた煙草にライターで火をつけると、それを唇の間に挟んで、運転席側の窓を三分の一くらい開ける。まだ何も言わない。なんてこと聞いてんだよオレ。終わった。 「うーん、ないしょ」 「なんか、ごめんなさい」 お姉さんは笑う。さっきの、ふふふ、より、少し楽しそうに笑った。少しではあるけど、口を開けて笑うお姉さんは初めて見た。ピンク色の薄い唇が少し、開いている。 「うそうそ、冗談だよ。彼氏はいない」 「そうなんですか?」 「どうして?」 「こんなに綺麗なのに、意外だと思って」 そう言うと、お姉さんはオレの方をみて、笑った。視線を逸らすに逸らせなくて、捉えられたみたいに、つられてはははと笑った。なんて綺麗な人なんだろう。真っ黒な瞳でまっすぐ見られたら、男は誰も逃げられないんじゃないかな。本当にそう思った。 「綱吉くんって、かわいいね」 青信号になって、車が走り出す。かわいいね、っていうのは、晴香にも時々言われる言葉だった。かわいいね、って言われると、褒められているのか、おちょくられているのかバカにされているのか、ちょっと複雑な気持ちになる。だけどお姉さんのかわいいね、は気持ちがよかった。顎の下を撫でられてごろごろいう猫になったみたいな気持ち。 「お姉さん」 「どうしたの?」 「お姉さんは、名前、なんていうんですか」 お姉さんは窓の方に向かって煙草の煙をすうっと吐いた。上をむいたまつ毛がセクシーだと思った。ゆるく巻かれたダークブラウンの髪がセクシーだと思った。グレーのワンピースに隠れた胸元がセクシーだと思った。赤く彩られた爪がセクシーだと思った。悩ましげにゆっくりとなぞられる言葉がセクシーだと思った。中指と人差し指の間に挟まれた煙草のはじっこについた、ピンク色の口紅のあとが、すごく性的だと思った。 「だよ」 「さん、ですか」 「どうして、わたしの名前なんて」 「なんとなく、知りたいと思って」 窓の外には、見慣れた並盛の景色が広がっていた。いつもの道、いつもの学校、山本が部活のあとに必ず寄るコンビニ、獄寺くんが学校をサボる時に行くゲーセン、三人で集まる公園。ありふれた日常の景色の中を、非日常的に通り過ぎていた。オレは、 「もっといろんなこと、教えてあげようか」 そのあとさんは笑って「なんてね」と唇を小さく動かした。色っぽいって、こういうことをいうんだ、って思った。オレは何にも答えられずにただバカみたいに心臓をどきどきさせながら、もう何十回、いや何百回としてきた彼女の晴香とのキスを思い出していた。晴香は、小鳥が跳ねるみたいなかわいいキスをオレにする。お姉さんならどうだろう。さんなら。ピンク色のきらきら光る艶っぽい唇で、さんはどんなキスをするんですか。 |