Biography

【誕生】東京の外れの産院で、元気に産声をあげる。(家は埼玉県)両親共に38歳の時の一人娘。厳格な父親と天真爛漫な母親に、愛情を注がれて育つ。

【幼稚園】風邪を引き、高熱を出して、一泊の入院。お正月だったので、看護師さんにお年玉をもらう、人懐っこい甘えん坊。父親が男の子が欲しかったため、幼少時代はショートカットで、男の子に間違えられる(その反動で大人になったら、ずっとロング)

【小学校】入学1ヶ月後に、父親の転勤で千葉県に引っ越し。母親の心配をよそに、転校初日に友達と遊ぶ社交性に飛んだ一人っ子。

【中学校】地元の公立中。此処までは、勉強も好きで、成績も良かった。学級委員もやったが、校則違反の買い食いもした。

【高校】公立の伝統ある女子高に入学。サボる事も覚え、決して良い生徒ではなかったが、要領の良さで赤点は取ったことがなかった。受験が嫌で、担任に甘え、推薦枠を勝ち取り、進学を決める。

【短大】またまた伝統ある女の園。「起立、礼!」「ごきげんよう」の挨拶にビビりながら、他大学のサークルに没頭して、人間関係の充実を知る。父親の仕事が一区切りつき、埼玉県に戻る。

【仕事1】バブル期で就職は引く手あまた。大手損保会社に入社。新宿本社の高層ビルでOL生活を送る。

【結婚】結婚を機に、退職。再び、千葉県に引っ越し、専業主婦になる。

【仕事2】専業主婦が半年で飽きて、バイトを始める。やってみたい事は、とりあえずやる精神。

・展示場受付 ・某企業 外国部 ・子供英会話講師 ・着物展示販売 ・テレホンアポインターetc.

【妊娠】妊娠初期に切迫流産になった事で、お姫様扱いの妊娠生活を送る。

【出産】予定日よりかなり早い陣痛。切迫早産で入院し、赤ちゃんの心音が下がっていると、急遽翌日、帝王切開になる。一人息子R、1680gで誕生。すぐに救急車で運ばれて、レントゲンで異常が見られたため、そのまま別の病院に救急車で移動。そして、生まれた翌日に手術。産後のあたしを気遣い、家族は黙っていたので、後から知らされた。そして、生後2週間を過ぎて、保育器の中のちっちゃな我が子と初対面。

【育児】NICU→GCU→小児病棟→ICU→小児病棟を経て、息子が退院して家に帰れたのは、1歳1ヶ月。初めてのお誕生日は、病室で看護師さんに囲まれて盛大にお祝いされた。その後も、病院とは縁が切れず、中学2年までは、入院・手術を繰り返す。母親として、心配、悔しさ、不憫さ、憤りもあったけれど、その何倍も愛しさ、嬉しさ、喜び、癒しもあった。命の大切さ、障害を乗り越えていく勇気、病院、医師、看護師さん、看護学生さん、同じ病院にいた患者さん、友達、家族、そして何より息子に感謝。

【仕事3】そんな状況でも、息子が幼稚園に行きだしてから、バイトを再開。いつ何があるかわからないから、正社員やパートは無理だと、時間の融通が利く仕事や在宅ワークを始める。登録制で週末をメインに始めた接客業は、途中休みながらも11年続いた。接待、パーティー、宴会他、およそ1000席、出逢ったお客様の数は数えきれない。

【引っ越し】母が他界し、父が一人暮らしになってから3年。心配が尽きないので、埼玉県の実家に引っ越し、同居生活を始める。

【仕事4】1年間の専業主婦を経て、仕事を再開。父と一緒に過ごす時間を優先し、昼間は主婦業、夜働く事にする。接客業を選んだものの、以前の仕事とは畑違いで、マナー、営業、人間関係の機微、料理のあれこれと、学ぶことが多かった。完全な昼夜逆転の生活になり、華やかさの裏は、体力勝負と知る。父が他界したのをきっかけに、将来的な事を考えて退職。

【仕事5】これまでの人生経験を活かして、自分にできる事をしたいと考える。長く続けられる仕事、年齢がプラスになる仕事と思い、オンラインで、カウンセリング、コーチングを始める。机上の知識よりも、実践に基づいたアドバイスができればと思う。また同時に、書くことが好きという趣味が高じて、執筆活動も並行して行う。納品スピードと文章センスで質の良いライティングを心がけている。

【現在】心理カウンセラー、恋愛アドバイザーとして相談業に携わりながら、ライターとして執筆業でも活動中。来春?開業に向けて準備中。

かなり省略して書いたつもりが、結構な長さになってしまった。最後まで読んでくれた人がいたら、お疲れさまです(笑) 何をやっても、どこにいても、あたしは、あたし。これからもずっと、変わらない自信があります(*´▽`*) どうぞ、末永く可愛がってやってください。