「デダラ丘」 




(ああ、まただ……)
 眼の端にチラ付いた、風も無いのに揺れる白い布の切れ端が消えた時、搭子は思わず頭を抱えた。



 蝉の鳴き声は失せ、代わりに鈴虫が時折鳴くようになった。涼しくなり始めた秋口だが、やはりまだまだ夏の残り灯は熱(ほめ)いでいる。田んぼや寂れたビニールハウスが疎らに混じる住宅地、いつもの帰り道で自転車を走らせていると、過ぎ去った木造家屋から風鈴の音がした。
 チーン……と陶器を叩く高音が、控えめに尾を引いた後、夜闇に融けて消えていく。秋口に聞く風鈴というのも、なかなか乙なものだと思った。
 高校二年生にもなると、受験勉強に本腰を入れ始めなくてはならなくなる。搭子は小さい時から頭の良い娘だったが、学校の成績となると、ムラが目立つ。興味のある科目以外は、赤点こそ免れていたが、このままの成績では受験に通用しないと、先日担任に口を酸っぱくして言われたばかりだった。
 幾分か涼しくなった風を感じながら、無言で自転車を走らせる。
 小さい頃の夢は大きかった。無限に広がる可能性、未来圏から吹いてくる清潔な風、その先は輝いているものだとばかり思っていた。学校の先生達も、「君達には無限の可能性がある。」と繰り返した。それを疑問も持たずに信じていた。
 だが現実は、こうやって少しの点数差に気を揉み、夜遅くまで塾に通う、忙しいのだが漫然とした代わり映えのない日々が続いている。学校の先生という人達から、ああいった希望的な台詞を聞かなくなったのは、一体自分がいくつになった頃からだろうか。
 所詮、駄目なものは駄目で、希望を持つ前に諦めが付くようにと、こちらの身の丈に合った進路を提示してくる。少なくとも搭子の身の回りでは、学校の先生とはそういう存在になっていた。
 テレビで時々スーパー高校生の特集をしているが、あのように輝いている子達を羨ましく思う。
 所詮、曖昧な希望的観測など、「実行力」が伴わなければ意味がないのだ。彼らのように輝いている人は、その希望を実行出来るだけの熱意があったのだろう。それを導く周りの大人達だって、きっと上等なのに違いない。口先だけで、自ら実行してみせもしないで、曖昧な夢と希望だけをこちらに植え付けて来た大人達とは、違うのだ。
 未来には、お綺麗な夢や希望など無い。そんなのは、大人達が誰よりも分かっているはずなのに。それならば、世の不条理や無常を切々と諭されたほうが、まだ地は固まろうというものだ。心構えが出来る。
 世に名高い賢人は、綺麗事だけを声高に語ったりなどしなかった。
(だから、足元のフラフラしてる若者が増えてるのよ。そもそもまだ、将来なにになるかさえ決めてないのに……)
 いっそこのまま消えてしまえれば、こんな何時まで続くと知れない、腹の底を焦がすような不安から解放されるのだろうか。そうなれたなら、どれほど楽だろう。
 どこかの作家が言っていた。人はみな死にたがっていると。きっとそうなのだろう、死とはきっと、安らかなものなのだ。
 けれど死ぬ勇気などない。苦しいのは嫌だから、せめて消えてしまいたい。ぐるぐるぐるぐる、思考は迷走する。そんな時だった。
「……、ん?」
 物思いに沈みながら自転車を走らせていると、眼の端に何か映った気がした。
 ひらりと翻る、白い布の端。有り得ないほど、明るくハッキリと見えた。
 辺りは街頭も存在しない、夜闇だというのに。
(ああ、まただ……)
 胸の内でこっそりと、頭を抱えた。
 視界の端で布が翻った気がしただけ。言ってしまえばそれだけなのだが、最近こういったことがやけに多い。
 小さい頃から、不思議と搭子の周りには、そういった類のものを「視て」しまう友達が多かった。しかし搭子自身は、自信を持って「視えない」と豪語してきたのだ。
 わざわざ、目にしたいものではない。
 「視える」というのはそれだけ辛いのだろうと、幼心に理解していた。
 主人公が、そういった力を持ってしまったばかりに苦しんできたという題材の漫画や本を、好んで読んでいた。過去に一度だけ、友達に尋ねてみたことがあるが、やはり返答は予想通りのものだった。それで搭子は、自分が恵まれていることにコッソリと安堵していたのだ。
 なのに、最近の搭子ときたら。
 冗談ではない。楽しいものじゃない、怖い。怖い、怖い。
(とりあえず、早く帰ろう。それが一番いいよ)
 背筋が粟立ち、冷や汗が皮膚の表面に纏わり付く。うなじを滑るぞわりとした感触から、一刻も早く逃れたいとペダルを漕ぐ足を速めようとした。
 しかし。
「?! ……っく!」
 どうしたことだろう。足に力を込めてみても、異様に重くて前に進まない。
 水に足を取られたかのように、夢の中で足が縺れて上手く走れないかのように、思い通りに動いてくれない。
 と、思ったら────足が、勝手にペダルを猛スピードで漕ぎ出した。
 家路から遠く逸れ、人気の無い田んぼ脇の畦道を延々とひた走っていく。
 全身から嫌な汗が噴き出した。あまりの恐怖に、心臓が口から飛び出しそうになる。
 これは、自分の体が誰かに乗っ取られた、そんな感覚。まったく現実味の無いことだった。
 自分の意思と繋がらない足が、別の生き物のように激しく回転する。
 その気色の悪さといったら。
「い、イヤぁァアあアア!! イヤだ──アアああッ!!」
 パニックを起こし、涙を垂れ流しながら髪を振り乱し叫んだ。これだけの絶叫を、聞き留める人がいないのは妙だと思うのに、闇の中に人影はなく、民家もない。
 いよいよ辺りの景色が異様さを露にし、いつのまにか搭子は見慣れぬ林に紛れ込んでいた。鬱蒼と茂る草木に肌を打たれ、舗装されていない砂利道に上体を振られながらも、変わらず足は自転車を漕ぎ続ける。
「イヤっイヤっイヤっイヤッ助けてェェ!!」
 悲痛な叫びを発した直後、突如として視界が開けた。体が一瞬、宙に浮く。
 果てに広がるのは、明かりを灯した家々の点在する町並。温かくも懐かしい、その明かり。
 反動で四肢が投げ出された。溢れる涙が風に散る。自転車を漕ぐ足は、いつの間にか嘘のように止まっていた。
 ああ、落ちる。
(死にたくない──……)
 先程まで消えてしまいたいと悲観していた筈なのに、搭子から自然と溢れてきたものは、生へのそんな執着だった。



 翌日、搭子は町外れの崖下で、気を失っているところを発見された。付近の民家に植えられた生垣がクッションとなって、衝撃を和らげてくれたのだろう、ということだった。
 つくづく妙な話だ、民家の「み」の字も見当たらなかった筈なのに。
 搬送された病院に駆け付けた家族や、親しい友人達の顔を見たら、もう、死にたいとか消えてしまいたいなどとは思えなかった。
 なんだ、勉強に悩んでいるくらいで。
 世の中には、もっと苦しい想いをしている人達が沢山いるのだ。
 自分の事となると、こんなにも簡単な結論が、なかなか出て来ないものなのだなと思う。やっと肩の荷が下りたようだった。
 何故あんなところに居たのだ、そんなに思い詰めていたのかと、両親はハラハラと涙を流した。確かに悩んではいたが、自殺未遂を敢行する程ではなく、かといって真実を身近な大人に説明するのも気が引けた。
 だが親しい友人と、年の近い姉には、事の顛末を素直に話した。
 そして、あることを教わった。
 彼女等によると、その崖はおそらく、この辺りで「デダラ丘」と呼ばれている場所だろうという。
 地元で語り継がれている昔話で、死にたがっている者がいると誘い込まれ、「連れて行かれる」らしいのだ。普段は何故か見付からず、側に住む住民ですら、その場所を仰ぎ見るだけで決して辿り着けない。言われてみれば、搭子にも聞き覚えがあるかもしれない。
 そんな嘘のような怪談に自分が巻き込まれたなどと、直ぐには信じられなかったが、あの体験は本当に生々しくて恐ろしかった。
 あれから、搭子は何故かそういったものを視なくなった。あからさまな体験が無くなっただけかもしれないが────。
 自分の将来がどうなるにしても、生きることに対する漠然とした不安を取り払ったからかもしれない。心霊物に強い姉が言うには、後ろ向きな心は良くないものを呼ぶ。なら前向きになれば、悪いものは離れていくのだ。
 当然、迷いも悩みもまだ残っている。
 だが、あれだけ衝撃的な体験をして無事生還したのだという、個人的な武勇伝を胸に秘めて自慢気に生きて行く方が、搭子の性に合っているような気がした。



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  2008.10.01  都樹優戸







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