同じ隊の雛森とは兎も角、阿散井と非番が揃うのは稀にある事だった。
そんな時、決まって吉良は、阿散井と共に詰所を後にする。かと云え互いに帰る家など無く、大体は余は離れない場所で昼食を摂っておのおのの隊の話を報告しあう。阿散井の話の内容は殆どが朽木副隊長の事で、凄いの一言に尽きると何度も繰り返して居た。必ず超えると云うその目のぎらぎらした色が、吉良は少し羨ましかった。これも何時もの事だ。このちょっとした色が、先が見えない暗雲の中も睨んで切り裂くこの強さが、更なる上へと駆り立てる僅かなばねになる事を、吉良は自覚して居る。同時にコンプレックスでもある事も知っていた。
粗方昼を過ぎると必需品を買い求め、小さな店が軒並み並ぶ一角へ赴く。そして其処で、けして多いとは云えないがそれでも充分な分の給金と天秤に掛けて様々なものを購入する。それは生活を豊かにするものであったり、高価なゴーグルであったりした。並ぶ高価なそれらと睨み合う阿散井の後姿を見て吉良は笑う。また壊したのと問うと阿散井が吼えた。八つ当たりだと吉良は色濃く笑った。
店を出た所で、向かいに有った雑貨屋の店先を吉良が眺めた。ふとしたその動きに阿散井もつられて其方を見る。雛森くんに何か、と吉良は呟いた。阿散井が呆れた顔をする。これも何時もの事だった。二人は非番だが雛森は非番ではない。今この瞬間だって隊務に追われている。そのねぎらいにと吉良が何か土産物を雛森に買って帰る事が決まりになっていた。勝手にしろと云って阿散井は歩いていった。その先に茶店を確認すると、一つ安堵に息を吐いて、吉良は雑貨屋の方へと足を進めた。
しかし余り近付かないうちに、その足並みが止まる。
店先には、何時の間にかほっそりとした姿が立っていた。
太陽のるるとした光をちかちかと反射してまばゆい銀色の髪も、薄暗い東雲の色をした袖から覗く白く細い腕も、華奢で無防備に見えるその背も、見間違えるはずは無い。隊の中と外でまみえるのとでは心境が恐ろしく違い、吉良は心持ち姿勢を正し緊張した。その後姿を見間違えるはずが無い。己が隊の副隊長にして、命の恩人。その姿を見間違う事は吉良にとってありえない事だった。単に彼も非番なのだろうと吉良は己を落ち着けるがしかし、その姿は容易に己を落ち着かせてはくれなかった。やおら麗しい彼は氷の様にこの視界一面から浮き立っている。吉良の心拍数が僅かに上昇する。
市丸が少し腰を折って店に並ぶ何かを取ったのが見えた。その拍子にすらりとした足首が覗いて吉良はまたしてもどきりとした。市丸が持ち上げたのは光を反射するきらきらとしたものだった。風鈴の上に細い棒が付いた様な硝子で出来ているらしいものを左右に振り、首を傾けている。光が通って屈折したのか白い指先がその硝子の色を映して青くなっている。細い部分を持って左右に振った。音はしないらしい。また市丸は其れを眺めている。
吉良は不思議に思い、少しだけ近付いた。往来で戸待っているのも迷惑かと思ったためだと自分に言い訳してから、何故言い訳するのだろうと思った。しかしそのまま店先へ少し近寄る。さっきより市丸が近くなった。市丸はその硝子をぐいと持ち上げて天にかざした。頬に青色が落ちた所で、くる、と顔が此方を向いく。あ、と吉良は声を出してしまった。市丸はにこりと笑って手を下ろした。
「あァ吉良くんや、こんにちわ。今日は非番やったね」
云って市丸がふんわりと笑った。
艶のあって綺麗な笑顔に心拍数が上がる。吉良は見蕩れそうになるのを慌てて顔を下げて制し、こんにちわ市丸副隊長、と挨拶をした。名前を覚えて居てくれたことも、非番をおぼえていてくれたことも、何故だかとても心をじわじわとさせて吉良を蝕んだ。市丸は相変わらずその手にしたものを揺する。
不意に、なア、これ何か判る、と手にしたものを見せて吉良に問うた。
「最初は文鎮みような、こう、書類の上にぽんて置くものかと思ってんけど」
「…はあ。確かに形は安定が取れていますし…硝子製なら錘にもなるんじゃないでしょうか」
「や、ほら、一個持ってみ。…軽いやろ?」
「本当ですね…硝子が薄いんですね、きっと」
「そやね。けど、ほなら何に使うんやろ、て」
吉良くん知ってる、と云って市丸が首を傾げる。吉良には毛頭判らないが、しかし市丸が問う言葉に判らないと云うのもなんだか自分自身が赦せず、吉良は必死に考えてみるが、良い案が浮かんでこない。一輪挿しにもならない程度の細い管とその先の硝子の空洞が何をするものなのかさっぱり見当も付かなかった。それとしばらく睨みあった後で、申し訳ありません、皆目見当も付きません、けれど必ず調べておきますので、と吉良は頭を下げた。市丸はころころと笑った。なして謝るん、ボクかて知らんから、と云った。
「正直ものやね、吉良くん」
「そ、そうでしょうか…」
「ボク、これが何なのか知らんさかい、嘘云われても信じたんやで」
「そんな事」
「でけへん?」
可笑しげに市丸が肩を震わせている。揶揄されて居るのだと判った。
この人は何時もそうなのだと吉良は思い出した。市丸の上司が悪戯に手を焼いているのは有名な話だ。このひとはまた、と思い何か云うべき言葉を考えあぐねていると、云うより先に市丸の指先がぴくりとした。直ぐに、おや吉良くんも一緒か、と云う声がした。振り返るとたった今思い描いた自らの上司でありこの白い彼を侍らす主が立っていた。頭を下げて市丸にしたのと同じ様に挨拶をすると、市丸が早速その名を呼んだ。
「藍染隊長、これ、何?」
「うん?ああ、これか。これはビードロと云うんだよ」
「びいどろ」
「ああ。知らないかい?」
知らないと市丸が云う。びいどろと口の中で繰り返して、次にはどうやって遣うん、と尋ねた。
挨拶が無い事を咎めない藍染に何だか贔屓を目の当たりにした気分になったが仕方が無い。若しかしたら此処でこうして逢う前に一緒に居たのかもしれないと思い描いて自分を納得させようとしたが、何だか更にふしだらな事を考えてしまった様な気持ちになり、今度こそ吉良は自分を叱咤した。市丸を見るとさっきまでの自分へ向けていた笑みとは明らかに違う温度をしていた。吉良は少しだけ目を伏せた。暗雲が立ち込める気持ちがした。
すると藍染が店の主人を呼んだ。銭を渡して市丸の手にあるビードロを取り、細い管を口へ運んだ。厚い唇にそっと乗せる動きに、どうやら市丸は見入っているらしい。それが単なる興味本位なのか、もっと別のものなのかは推し量れない。藍染は、こうやって吹くんだ、と軽く息を吹き込んで見せた。薄い硝子がぺこぺこと音を鳴らす。途端に市丸がわあと声を上げた。すごいすごいと云って笑う。吉良も暫く其れを見詰め、面白い仕組みなんですね、と云った。そうだねと藍染は云った。その青いビードロを、藍染が市丸の手に持たせた。市丸はちょっとだけ困った顔をして、けれどおおきにと云って受取った。硝子を暫く触ってから、薄い唇で管を口に含んだ。ぺこぺこと音がする。その顔は何だか喜びと慈しみに満ちていた。繊細な雰囲気に、吉良は一瞬見蕩れてしまう。ふと見ると、藍染もその市丸の顔を見詰ている様だった。少しだけ、吉良の中に歪が走る。二人の雰囲気は余りに甘い。
二人と別れたあとでちらりと振り返ると、其処には変わらず二人が立っていた。市丸のその真っ白な手にはあのビードロが有る。軽く揺すり、それからそっと藍染に向ける。藍染も市丸も笑っている。
少しだけ藍染が身を屈めた。そのまま市丸の手元に顔を近付けて行く。その手にはやはりビードロが有って、細い管の付根を細い指が押さえている。僅かに藍染が口を開くと、市丸がふわりとした。
藍染の唇が、その管を捉える。
その先を見たくも無く、また、その音ですら聴きたくなかった。吉良は視線を流して背を向ける。
風が吹けば良いと願う、吉良の鼓膜をあの音が揺さぶった。