シュッ、と煙草に火をつける音が聞こえた。誰かは分かっていた。だから振り向かなかった。

「終わったのか」
「…ええ、まあ」
「いつまでぼーっとしてんだ。さっさと帰んぞ」

そんなこと言ってるくせに、隼人さんは動こうとしないじゃないですか。早くしろって引っ叩いて、無理矢理連れていってくださいよ、こんなところにいたくない。雨が降り始めた。冷たい雫が私達を濡らす。隼人さんは小さく舌打ちをして煙草を踏み付けた。傘は持ってないんだろうか。珍しい、いつも準備万端なのに。小振りだった雨が次第に激しさを増していく。耳障りな雑音。視界だけは何故かはっきりしている。真っ赤な海が広がっていった。つい先程私が殺した人達の血の海だ。もう何人目だか分からない。浴びた返り血も全部流された。だからって私のしたことが流されるわけじゃないけれど。

「隼人さん」
「何だ」
「これはボンゴレにとって必要なことなんですよね」
「ああ」
「私がしていることは無駄なことじゃないんですよね」
「10代目のお考えを知らないわけじゃねえだろ。あの方は無駄な殺しは望まねえ。最低限必要な仕事だけを選んでらっしゃる」

分かってますよ、そんなこと。10代目がとてもとてもお優しい方だってことくらい、ちゃんと分かってます。あの方は争いがお嫌いで、誰かが傷付くのに耐えられなくて、この世界がいつも平和であってほしいって願ってらっしゃる、本当に本当にお優しい方なんです。そんなこと、10代目に命を救って頂いた私がいちばん知ってるんです。ああ、それでも。

「命がわからなくなりそうです」

人にとっていちばん大事なものは何。無くしちゃいけないものは何。簡単に奪ったりしてはいけないものは、一体何だった?このままじゃ、見失ってしまう。簡単な問いにさえ答えられなくなる。大事なものは無くして分かるって言うけれど、私は無くしてなんかいないのにもう分かってしまった。私がしていることは、正しいのか否か。

「隼人さん、どうして私は人を殺してるんですか?」

呟いた言葉は、雨の中に小さく消えた。どうしてそんなことを聞いてしまったのだろう。聞いたってどうしようもないことなのに。きっと誰が何と言おうと、私は何も変わらない。答えなんて分かり切っている。隼人さんはしばらく何も言わなかった。叩きつけるような雨の中で、永遠に続くかと思われた沈黙は隼人さんが破った。

「お前はボンゴレに入ったとき、何の覚悟をした?」
「え…」
「マフィアになろうと決めたときに、何も思わなかったのか?

覚悟。重い言葉だ。重圧のように圧し掛かってくる。決めたあの日を思い出す。10代目に救われて、マフィアとしてボンゴレに入ると決めたあの日。あの日の夜に、私は何を思ったのだろう。確か体は少し震えていた。突き通るような思いが駆け抜けていった気がする。

「…覚悟は、しました。いつ死ぬかもしれない覚悟と、それから…殺す覚悟」

雨がほんのちょっとだけ弱くなった。転がる死体にはもう血の跡はない。そうだ、殺す覚悟はとっくに出来ていた。それなのに何を今更弱音を吐いているんだ。10代目のために強くなるって、決めたはずなのに。どうして揺らいだりするんだ。

「それだけじゃねえ」
「…え?」

思わず振り向いてしまった。隼人さんは濡れている。私も濡れている。顔にかかった髪の毛をかきあげながら、隼人さんは私を見ていた。私の髪が首に張り付く。それを剥がそうとした瞬間、隼人さんが口を開いた。

「それだけじゃねえだろ、しなきゃいけねえのは。死ぬ覚悟して、殺す覚悟して、それで何が変わるんだ。いちばん必要なのは…生きる覚悟だろ」

つきん、と心臓が痛んだ。目を見開く。生きる覚悟。マフィアとして生きる。ボンゴレとして生きる。私として、生きる。それはしてはいけないものだと思っていた。望んではいけないものだった。数え切れないくらいたくさんの人を手に掛けてきた私には、許されない覚悟だった。そう思っていたのに。隼人さんは、何を考えているんですか。

「死ぬ覚悟も、殺す覚悟も、この世界に入った瞬間に全員してんだよ。この世界の誰を殺しても、この世界の誰が死んでも、それは誰の所為でもねえ。この世界に入った、自分の責任だ。だからお前が誰を殺してもお前の所為じゃねえし、お前が死んでも誰の所為にも出来ねえんだよ」

隼人さんは踵を返して歩き出した。

「覚えとけ。お前が今こうして人を殺してんのは、生きる覚悟をしたからだ」

雨が、止んだ。そこら中に水溜まりが出来ている。はっ、として慌てて隼人さんの背中を追いかけた。この世界を選んだこと、後悔はしていない。だから本当は、迷うべきじゃなかった。立ち止まってしまったら、私が今までしてきたことが全て間違いに変わってしまう。信じていたものが、嘘に変わってしまう。私は、私のために生きればいい。隼人さんがふと振り返って私を見た。

「泣くなよ、ばーか」

違います、隼人さん。



はまた明日きる

これはまでしたと、これからへのいです。


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