かしゃんという金属音とともに振り返ると、さっきまで私が身に付けていた金色の鎖がそこに落ちていた。まだ新しくて錆びたりなんかしてないのにどうして、と不思議に思いながらもその場にしゃがみ込む。鎖の留め具の部分が切れてしまっているようで、留め具を付け変えないと使えなさそうだ。軽く溜息をついて、鎖を拾い上げる。その鎖に通してあったボスにもらった指輪を眺めてみた。私なんかにはもったいないくらい、きれいだ。どうしてだろう。反射して光っている指輪はいつもと何も変わらないはずなのに、今私の傍を通り抜けた何かが気にかかる。何かは分からない。指だといろいろ不都合だからこれに通して首にかけておきなよ、と笑ったボスの顔が何故かぼんやりとしか思い出せなかった。


ツナが死んだ、という音の響きの意味が理解できない。私の頭は受け付けようとしなかった。ツナ、ツナ…ツナって私たちのボスであるボンゴレ10代目の沢田綱吉さんのこと?ああそうだ、そういえばボスは昔からの馴染みの人たちにはツナって呼ばれてるんだっけ。ツナが死んだ。死んだ。死んだ、って何だろう。どういうこと。ツナが、死んだ。私の身体中を這い回るように広がっていくその音が、今までの日常の終わりを告げる言葉だと気付くのに時間が掛かった。
諜報活動を終えてアジトに戻った私が一番最初に会ったのは武だった。徹夜続きとは言え、いやに目が腫れているなと思った瞬間腕を掴まれた。いきなりのことに少し驚いて、何?と尋ねると武は腕の力を強めた。痛いな、何すんのと小さく睨み付ける。でも武は何も映していないような眼をして掠れた声で来い、と言って私を引っ張っていった。

「どこ行くの、私先にボスに報告行かなきゃなんないんだけど」

私の言葉に腕を掴んでいた武の手がふるえた。こっちを見ずに何も答えないままずんずん歩いていく。何かがおかしい。いつもの武じゃない。私の知らないうちにここで何があったんだ。暗い廊下をどこまで進むのかと思っていたら、武は歩みを止めた。そこでやっと私たちは向かい合う。何事だろうと武の言葉を待った。、と武が静かに口にしたとき、武越しに部屋から出てくる隼人が見えた。暗くてよく見えない。けれど、もしかして、泣いている?訳が分からなくてただ隼人を見ていると、隼人も私たちに気付いた。私と目が合うと、見たこともないような顔をした。言葉では表現できないけれど、悲しいような、切ないような、痛いような。どうして隼人はそんな顔をしているのか。そんなことを考えていたら、武がもう一度私の名前を呼んだ。はっとして武の顔を見上げる。落ち着いて聞いてくれ、武の声はやっぱり静かだった。それでもその奥にある感情が伝わってくる。すうっ、と私の血が騒いだ。

「ツナが死んだ」

武はそんな悪い冗談を言うような人間じゃない。いや、今のこのボンゴレの状況下でそんなことは冗談なんかで言っていいようなことじゃない。分かってる。分かってる、それくらい。でも、でも分からない。本当に分からないの。武の言葉が、私の中ではイメージできない。嘘でも冗談でもでっち上げでも、私には分からない。だから、なにいってるのと本気で聞いた。武も本気だってことも分かってる。でも、分からない。それは本気で言ってもいい言葉だったのだろうか。

「ミルフィオーレとの交渉の席に、ツナはひとりで出向いた。そこで…射殺されたんだ」

武は淡々と話すと、歩いていってさっき隼人が出てきた部屋のドアを開けた。足が勝手に動く。私はふらふらと部屋の中に入った。部屋の中はむせ返るくらいの花の香りが充満している。ばたん、と武は外からドアを閉めた。少しもしないうちに、壁を叩くような音と押し殺した嗚咽が聞こえてきた。泣いてるの、武。どうして?部屋の真ん中に目をやると、大きな黒い箱があった。何か名前があったな。こんな風な黒い箱の名前は何だったか。頭の中で声にならない声が喚いている。駄目、行っちゃ駄目!狂ったように叫ぶ声が聞こえるのに、私の足は止まらない。私は、その黒い箱の横に立った。ああ、思い出した。これは棺だ。そして中には、たくさんの花に囲まれているボスが眠っていた。

「ボス……?」

返事はない。こんなことは初めてだ。ボスは私が呼ぶと、必ず返事をしてくれた。なに?とあのはにかむような笑顔で答えてくれた。どうしてですか、どうして。返事をしてください、ボス。声が出ない。身体が震えている。暗闇から私を救ってくれたのはボスだった。誰も何も信じられず、独りっきりで生きていこうとしていた私に手を差し伸べてくれた。私はその手を何度も振り払った。ボスは何度でも差し伸べた。どうして私なんかに優しくしたりするの。泣き叫んだこともある。信じられない、そんな優しさなんて。お願いだからもう放っといてよと吐き捨てた私をボスは何も言わずに抱き締めた。それが、初めて人のあたたかさに触れた瞬間。ボスに惹かれた瞬間だった。ボスのために生きて、ボスのために死のうと思った。今までのは捨てて、ボンゴレ10代目の部下のとしてボスに尽くそう。そう決めた。そしてしばらくして、もうひとつの感情に気付く。人間として好き、というだけではない、もうひとつの好き。

「ボス」

もう一度、呼ぶ。僅かな希望を見据えて。それでもやっぱり、どうしても、返事はなかった。理解してしまいそうになった事実を打ち消そうと、必死に記憶を手繰る。あれはいつだったか、ほんの少しだけ前。ボスが照れたように笑いながら私に指輪をくれた。びっくりして、でもすごくすごく嬉しくて、ありがとうございます、ボスとお礼を言った。するとボスはちょっと拗ねたように、いい加減敬語なんて使わないで、俺の名前を呼んでよ、と言った。そんなことはできません、だってあなたは私のボスなんですから、と答えるとじゃあ、いつか。いつかでいいから、呼んで。俺の名前。顔が熱くなるのが分かった。私がおずおずと頷くと、ボスはきれいに微笑んだ。 こんなにもはっきりとあなたのことを思い出せるのに、どうして目の前のあなたは動かないのですか。いつまで眠るつもりなんですか。ボス、いつもみたいに笑ってください。諜報活動の報告がたくさんあるんです、ボス。どうしてですか。早く起きて、あの笑顔で、私の名前、って呼んでください。お願いです、お願いします、ボス。思わずポケットに入っていた指輪を、爪が食い込むくらいに握りしめた。ボス。好きです。好きです、好きです、大好きです。まだ全然言い足りないのに、ボス。言えてない言葉がたくさんあるんです。だから言わせてください、お願いだから。ボス、ボス、ボス、

「ッ、つなよしさん、」


初めて呼んだなまえ
聞こえますか?
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