此の部屋に来るのは何度目だ。すぐに答えが出ないのはあまりに少な過ぎた所為かそれとも多過ぎた所為か。一番最初に目に入った洒落た鏡台の上には、化粧道具がまるで宝石か何かのように並べられている。自分に似合っているかどうかも判らずにただ派手に着飾って自己満足に陥っているだけの女を見るのはどうも胸糞悪い。いっそ何も手を加えない方がまだマシだと思える類も大勢いる。がちゃり、と扉の閉まる音がしたと同時に後ろから手が伸びてきた。黒い爪を光らせる其れを黙って受け止める。

「なあに、考え事?」

透き通った、だが艶のある声でが笑った。その問いに応じる代わりに伸ばされた手を掴んで向かい合う。掴んだ手は力を込めればすぐに折れてしまいそうに細く、しなやかだ。は可笑しそうに小さく肩を揺らして閉じた扉に背中を預けた。

「やっぱり貴方って不思議なひとね」
「そうか?」
「ええ。此処に来て一人で呆けてる男なんて他にいないもの」

大抵はすぐベッドに行きたがるわ、と付け足してまた笑った。瞬きをする度に長い睫毛がちらちら踊る。自慢などではなく、ただ事実を述べているに過ぎないのだろう。確かに、これ程良い女は何処を探してもそうは見付からない。ノーメイクということは無いだろうが、決して厚くはない化粧は絶妙の加減だ。焦げ茶色の髪も、透き通った肌も、紅色の唇も、全てがの女としての魅力を引き立てている。

「お前が望むんなら、今すぐ及んでも構わないが」

口の端を上げてとの距離を詰める。片手をポケットに突っ込んだまま緩く巻かれた髪の先に触れると、上目遣いに俺を見てまた可笑しそうに笑った。

「貴方、自分から誘うタイプじゃないでしょう」
「何故そう思う?」
「女の勘よ」

そう言って得意そうに微笑む。以前から思っていたが、この女は人を見る能力が人一倍長けているようだ。大きな蒼黒の瞳の奥で一体何を思っているのだろうか。はふと気が付いたように俺のネクタイに手を伸ばした。

「ネクタイって苦しくならない?」
「別に」
「あたし、駄目なの。首の辺りの圧迫感って耐えられないわ」
「ネクタイ締める機会なんて滅多に無いだろう」
「ネクタイじゃなくても、首に巻き付けるものなんてたくさんあるじゃない」

まあ全部が駄目って訳じゃないけど、と言ってからかうようにネクタイを軽く引っ張る。は時折こんな商売をしている女とは思えない表情を見せることがあった。俺の周りの女が皆、色と媚を衒って寄って来たのとは対照的に、時として驚く程知性的な面を覗かせもする。はっきり言って、この商売には勿体無い位の気品と誇りと聡明さを兼ね備えていた。

「そう言えば貴方のお仕事まだ聞いてなかったわね」
「あ?」
「こんなに上等なスーツ着てるんだから、大会社のお偉いさんかしら?」
「当たらずとも遠からずだな」
「あら、もしかしてあまり聞かれたくなかった?御免なさいね、立ち入った話して」
「…いや」

の瞳がすっと細められた。その瞬間、先程までの華やかな雰囲気が一気に変わる。少し影が落とされた顔立ちからは凛とした意思が漲っていた。俺のスーツに触れていた手を離し、淑やかに腕を組む。強い眼差しは、の全てを明示していた。

「言いたくないことは言わなくてもいいのよ。此処はそういう嘘が罷り通る世界だもの」

至極透き通ったその声は、どんな王族より気高かった。黒く塗られた爪さえもが高潔に見えてくる。やはりは、ただの水商売の女ではない。それどころか普通の女とも完璧と言っていい程一線を画する。内にある想いは、気品と誇りと聡明さの源は、一体何なのか。

「女も嘘、男も嘘、残ってるのは身体ぐらい。たまに勘違いしてる奴には、本末転倒って言葉がお似合いだわ。形ばかりの偽物にもそろそろ飽きてきたところだけれど。ああ、別に貴方を責めてる訳じゃないのよ?ただ本物面して取り交わされる偽物が気に入らないだけ」

にこりと笑うの頬に手を伸ばして、紅い唇に自分の其れを押し付けた。唇が触れ合うか合わないかのぎりぎりの所で意地悪く問い掛ける。

「今のは、どっちだと思う?」
「…偽物である事を願いたいわね」

細い腰を抱き寄せながら今度は額にキスを落とす。そのまま身体を押して後ろの扉に凭れ掛からせたところでが俺の首に手を回した。ゆっくりと僅かに距離を空けると、丁度視線が絡み合う。片手でネクタイを少し緩めて、俺は訊ねた。

「愛が欲しくはないのか」




               は今までで一番きれいに笑った。





 愛されたいの?

     NO,NO,NO.


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