はじまりは偶然だった。




それがなければ、それさえなければ、
そんな仮定はただの戯言にすぎない。




「ばかみたいね」

声が響いた。本当に、ばかみたい。困ったように微笑みながら私を見ている綱吉も、そんな綱吉を店に入れた私も。

「うん」
「大体、私の店を何だと思ってるの?こんな時間に来るなんて、非常識もいいところよ」
「うん」
「こっちは迷惑してるんだから。開店してる時に来たことないくせに、自分が危なくなったら転がり込むの、ずるいと思う」
「うん」
「…そうやって頷いてればそれで済むって思ってるんでしょう」

頭の芯がかあっとなって、色々な感情が溢れてしまいそうになった。綱吉に背を向けて、カウンターに肘をつく。私は、いつからこんな風になってしまったんだろう。分かりきっている答えを求める。綱吉と出会ってからだ。綱吉と出会ってから、時々自分の中で蠢いている感情を持て余すことが格段に増えた。何度厳しい言葉を叩きつけたって、何も変わらなかった。不意に、後ろに気配を感じる。振り向く前に抱きすくめられた。

「っ…」
「ごめん」

髪が頬に触れる。線が細そうな見た目とは裏腹に、綱吉の腕は男の人のものだった。私の肩に顔を埋めて、身体を包み込むように腕が回されている。私なんか簡単に飲み込まれてしまいそうな気がした。身動きを取ろうとすると同時に腕の力が強くなる。綱吉の身体は、あたたかい。

「離して」
「ごめんな、」
「離してよ…っ!」

駄々を捏ねる子供のように身を捩ると、綱吉はゆっくりと離れた。振り返った勢いのまま、手が動いていた。ぱあん、と乾いた音がする。手に熱い痛みが走った。綱吉は少し赤くなった頬に触れることもせず、泣きそうな瞳で私を見た。そんな瞳で見ないで。私は悪くない。悪くないのに、締め付けられる。

「…どうして避けないの」

あなたはマフィアのボスでしょう。私みたいなただの女の平手打ちを避ける方法なんて、いくらでもあるはずじゃない。

「のほうが、痛そうだから」

そっと頬に触れられた手を払い除けることも忘れて、私は綱吉を見つめた。

「俺のせいだよな…ごめん」

そうよ、あなたのせいよ。あなたが私の心の中を掻き回して、そのたびに小さな傷が付いて、その繰り返しで。それなのにあなたは笑ってるから、私はもう限界なの。これ以上、私に近付かないで。早く私の中から出てってよ。綱吉のことを考えるたびに、痛くなる。胸の、心よりもずっと奥のところがぎりぎり締め付けて、醜い感情が溢れ出す。こんな自分はもう嫌だ。綱吉が私の頬を撫でて、また微笑んだ。

「は、やさしいな」

どうして。どうしてそんなこと言うの。あなたが私に言葉の鎖を繋ぐたびに動けなくなっていく。ひとつ、ふたつ、増えていって、今はもう雁字搦めなの。私はやさしくなんかない。あなたが勝手に言ってるだけじゃない。お願いだから、もうやめて。二度とここに来ないで。私の前に姿を見せないで、もう二度と。




本当は知っていた。
この醜い感情の名前も、
気付かないふりをする自分の存在も。

これで何かを救えるのなら、


おわりは訪れなくていい。



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