唐突で申し訳ないが、私は今最高に気分が悪い。もちろんここで言う気分が悪いというのは体調不良云々ではなく、私の前にいる男によって気分が著しく害されているという意味だ。誰にでも嫌いな人がいると思う。嫌いとまではいかないがどうしても人間的に合わない人もいるだろう。私の場合、この男に対する見解はそのどちらもが当てはまる。大嫌いで、人間的にも合わない。合う気が微塵もしない。どうしてそんな男と向かい合っているのかというと、たまたま私が職員室の前で担任に会ってしまったり、たまたま今日その男と一緒に日直をするはずだった人が欠席だったりというように、たまたまの不運が重なってしまったからである。ついさっきまで十分距離をとっていたはずなのに、いつのまにか私が日誌を書いている机の前の席の椅子に座っていた。ー」目の前の男の声が聞こえた。今まで考えていたことが顔に出てしまわないように笑顔を貼り付ける。「なに?」「いや、なんかぼんやりしてたみたいだからさ」「そんなことないよ」「そーか?悪いな、面倒くさいこと押し付けて」「いいって、気にしないで」私がにっこりと笑うと、目の前の男―山本武もにかっと笑った。こういうところが気に入らない。誰にでもへらへら笑いかけて、裏があるようにしか思えない。こんなことをこいつのファンに言えば殺されるんだろうけど。今こうして不本意だが二人っきりで教室にいるだけでも危ないというのに。全くもって迷惑な話である。思わず出てしまいそうになった溜息を押し込めて、日誌を書くことに集中した。「あ、悪ぃ。俺書くわ」「大丈夫だよ」「でも、俺が本来日直なんだし」「他の仕事してたでしょ?」「まあ、そうだけど…」「途中まで書いたんだから、最後まで書くよ」「…分かった」また山本武が笑った。苛々する。偽善者にしか見えない。そうやって笑顔を振りまいていれば誰にでも好かれるとでも思っているのだろうか。それなら勘違いも甚だしい。私にとってのその笑顔は、山本武に対する嫌悪を増長させる材料でしかない。感情を抑えながら日誌を書き終える。「サンキューな」と言って山本武が笑う。本当に、こいつは笑うしか能がないのか。私だって人の笑顔が嫌いなわけじゃない。ただ山本武の笑顔が心の底から気に食わないだけだ。こいつの笑顔には何かあるような気がしてならない。胡散臭さしか感じない。こいつがちょっと笑っただけできゃあきゃあ騒ぐ人たちもたくさんいるが、私としては何に対してそんなに騒いでいるのか理解に苦しむ。こんな違和感を感じているのは私だけなのだろうか。私がただ素直じゃないだけなのだろうか。
その途端、ぞくりと悪寒が走った。視線を感じてはっと顔を上げると、山本武が笑っていた。「…っ、どうかした?」息を呑んで、絞り出した声が震える。「んー?」山本武は相変わらず笑っている。何だろう、この感覚は。心臓が嫌な音を立てている。つっ、と背中を汗が伝うのが分かった。教室の空気が変わった気がする。「ぁ…私、そろそろ帰るね」そう言って立ち上がった瞬間にぐいっと手を引っ張られた。いきなりのことに声も出ない。そのまま山本武がもう片方の手で私の顔を引き寄せて、耳元に顔を近付けて低い声で囁いた。

って、俺のこと嫌いだよな?」

ぞわっ、と体の底から何か変な痺れが駆け抜けていく。「っや…」体の力が抜けそうになるのを必死で堪えて、山本武の手を振り払おうとした。しかしそれは叶わず私の体が机に当たってがたがたっと音を立てる。「図星だな」山本武はにやっと笑って私を見た。いつも通りの笑顔ではない。でも、いつもの胡散臭さは感じない。違和感の正体はこれだった。震える喉に力を込めて声を出す。「それがあんたの本性ってわけ?」「本性?って面白いこと言うのな」「普段のあんたはやっぱり作り物だったんだ」「ははっ、作り物って…あんまりな言い方じゃね?」そうして山本武は私の正面に顔を近付けた。「せっかくのために本当の俺出したのに」山本武の指が私の頬に触れる。だって本当の俺出したら態度変わったんだし」そのまますっと輪郭をなぞって。

「おなじだろ?」

私の唇に触れた。その柔らかな動きとは裏腹に、私の手を掴んでいる方の手の力がぎりっと強くなった。私が軽く顔を顰めると、山本武は愉快そうに笑う。「…嫌な性格」「何だよそれ、褒め言葉?」「そういうことにしていいから、いい加減離して」きっ、と睨みつけるが、山本武は離そうとしない。本当にもう、いい加減にしてほしい。やっぱり私の考えは正しかった。こいつのどこが爽やかだって言うんだ。腹が立つ程私の大っ嫌いな性格をしている。「離さねえよ」不意に山本武が言った。「こんなに面白い反応する奴、離したくなるわけないだろ」私の手を無理矢理引っ張って、手の甲に口付けた。そしてまたにやりと笑う。こいつ、私が嫌がってるということを分かってやってる。きっと私が山本武のことを大嫌いだということも、ずっと前から気付いていたんだろう。これまでになかったくらい嫌な気分になって、私は吐き捨てるように言った。

「私、あんたのこと大嫌いよ」
「へえ、俺ものこと大嫌いだぜ」








何があっても揺るがないこの想い。



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