キーン、コーン、カーン、コーン。 遠くで聞こえたチャイムの音に、茜はゆっくりと目を開けた。
覚醒はとろりと甘たるいシロップのようで、けれど涙のように塩辛かった。いったい今、自分はどこで目覚めたのか。夢と現実の境目に焦点があった途端、廊下の窓から差し込む夕日の眩しさに目を細めた。―――そうだ、ここは高校の教室だ。 「あーかね! 目、覚めた?」 クラスメートの友人に顔を覗きこまれ、慌てて茜は眼鏡をかけた。黒ふちの大きな眼鏡を見た友人たちは、コンタクトにするかもっと可愛い眼鏡にすべきだと言ってくれるが、茜はなぜかこの眼鏡が気に入っている。 眼鏡を軽く指でパチンと弾いた友人は、「よかった。さっきから呼んでるのに全然起きないからさぁ」と笑った。 「え、そんなに深く寝ちゃってたの!? 私」 「そうそう。いびきかいちゃってさー」 「えー、それは嘘だよぉ」 赤くなった顔を隠しながら、頭はまだふわふわしていた。ぼんやりと夕日を見ていると、「また前世の夢でも見てたわけ?」と友人にからかわれる。 「前世だなんて言ってない。ただ小さい頃から、同じ夢を何度も見るだけ」 「それでいつも同じ人が出てくるんでしょ? それはもう、運命の人だと思うしかないよね。乙女としては」 「もう。人事だと思って」 「違うの、嫉妬してるの。いいなぁ、私の夢にも出てきてくんないかなぁ」 おどけた様子の友人に、茜は小さく笑った。 日々は穏やかにすぎていた。優しい友人、優しい両親。それ以上、何も望むことはないはずなのに、夕暮れを見ていると何故か胸がしめつけられる。そんな感傷を振り払った茜は、鞄を手に立ち上がった。 「待たせてごめんね。帰ろう」 「それがごめん、茜! 部活に寄らなきゃいけないの忘れてたの。先、帰っててくれる?」 「ん、わかった。じゃあ、この埋め合わせはまた今度ね」 「オッケー、了解」 友人に手をふり、茜は教室を後にする。 昇降口に向かおうとして、ふと思い立って踵を返した。階段を上っていくと、その先に屋上に続く扉がある。いつも屋上は立ち入り禁止で鍵がかかっている。けれどなんとなく、今日はその鍵が空いている―――そんな気がした。 茜の思った通り、ノブを回すとドアはすんなりと向こう側に開いた。その途端、いっぱいの夕日が茜を包み込む。遠い遠い、橙色の空。―――茜の空。 グラウンドを見下ろすように立っていたのは、白いシャツの男性だった。 後姿だが、茜が見上げるくらい背の高い人だった。もしかしたら新しい教師なのかもしれない。そういえばホームルームで、産休に入った教師がいて、新しい教師が来ると説明があった気がする。 邪魔をしないように立ち去ろうとして―――茜の足が止まった。 彼の手にあったのは赤い糸だった。その糸を使って、彼はあやとりをしていた。大人の男性があやとりをするのは珍しいことだ。珍しいことだけれど、おかしいことではない。でも、けれど―――。 その瞬間、彼が驚いたようにこちらを振り向いた。 茜もまた、ゆるゆると目を見開き、そっと自身の眼鏡に触れる。
グラウンドから野球部の声が響いていた。 頭上の雲はゆっくりとたなびき、すべてが茜色に染まっていく。
彼は糸を操り、やがて出来上がった作品を茜の前に広げた。そうして、ふわりと微笑する。 ―――これがなんだか分かるか? そう聞こえた気がした。 茜は何度も頷いた。ズレた眼鏡を直し、今にも泣き出しそうな顔で、くしゃりと笑った。
「トウキョウタワー」
[Fin.]
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